「鯛の浜焼」は、瀬戸内海沿岸の塩田地域に広く見られますが、延宝3年(1675)に備前玉島の庄屋・中塚長太夫が鯛を塩田の熱で塩蒸しにし、藩主に献上したのがはじまりと伝えられます。
 今治地方の名産「鯛の浜焼」は、波止浜塩田の塩釜から取り出したばかりの塩のなかに鯛を入れてつくります。「浜焼」という言葉から、焼いたものを想像しがちですが、塩蒸しにしたものをいいます。地元の名家や料理屋には「鯛の浜焼」用のせいろが残され、春祭や祝い事など、人が集まる際の料理に饗されるのです。
 波止浜塩田は、松山藩波方村の浦役人・長谷部九兵衛によって、天和3年(1683)、波止浜塩田が完成の運びとなりました。九兵衛は、塩田をつくるにあたり、浪人に身をやつして竹原の塩田に雇われ、門外不出の製塩技術を習得したといいます。一説には乞食の格好をしたともいい、塩づくりを会得するのが、いかに困難だったかが偲ばれます。
 今治地方の「鯛の浜焼」は、日本三大潮流である来島海峡で揉まれて身の締まった鯛の味を楽しことのできる逸品です。

※土井中照著『愛媛たべものの秘密』(アトラス出版)を参照しています。

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